金融・証券関係資料の保存についてのお願い

 いわゆる「情報公開法」の施行(平成十三年四月一日)によって、私たち研究者や国民は、様々な行政関連情報にアクセスする機会が格段に拡大するものと期待しております。しかし一方、行政府の内部では、自分たちの都合や判断を優先させて、後世、意味を持つ可能性のある各種の情報を廃棄する動きもあると報じられております。私たち、政府・中央銀行の経済政策運営の歴史や現状に関心を寄せている研究者にとっては、こうした動きは由々しき事態であり、深く憂慮しております。(添付した「金融・証券関係資料の保存と公開に関する要望書」は、先般、私たちが財務省・金融庁・日銀当局に提出した資料保存に関する要望であり、「要望書に対する回答」は、それに対する金融庁の回答です。)

 言うまでもなく、政府・中央銀行の政策運営に関する資料・記録は政府等による判断を客観的に評価するさいの最も基礎的な材料になるべきものです。したがって、そうした資料・記録が適切に保存され、人々に公開されることは、研究者にとっては何よりも重要なことであります。しかし、資料・記録の保存は単に研究者にとってのみ意味があるわけではありません。それは、政府・中央銀行が自らの政策を過去に遡って点検し、対外交渉などでの主張の拠り所とするためにも必要ですし、過去の政策の問題点を把握し、同じ誤りを繰り返さないためにも必要でしょう。さらに、それは、政府・中央銀行の政策運営を客観的に評価する機会を国民に与えることによって、政府等の行動に対する牽制として作用し、政策の失敗から国民もまた学ぶ機会を提供するという、実際的な効用をもたらします。この点は、たとえば、正確な情報・資料に立脚した客観的な政策評価の欠如が、第二次大戦における日本の悲惨な失敗に直結していたことを想起するだけでも容易に理解できるところです。そもそも、情報公開法の精神は、そのような政策運営の失敗の繰り返しを防止することを目指していると考えて良いでしょう。このように考えれば、様々な資料を行政当局等の判断だけで廃棄してしまうことがいかに危険であり、許されないことであるか、お分かりいただけることと存じます。諸外国の場合の多くは、行政文書等の保存義務が厳しく定められており、当事者の一存で廃棄してはならないものとされています。その点で、日本の情報公開法の規定は不充分であり、同法の施行に合わせて文書の廃棄が進められるとすれば、それは国際的な常識から著しく逸脱した行為であって、内外における日本の政府・中央銀行の信用を大きく損なうものとなることを指摘しなければなりません。

 現在、日本銀行の銀行考査、外国為替市場における介入操作、国際決済銀行における会議などに関連する資料・記録の処分が日本銀行内部で論議されていると、わたくしたちは仄聞しております。確かに、これらの資料は、行政当局と日本銀行との関係で、非常に微妙な性質のものであります。しかし、そうであればこそ、それらの資料・記録は将来の政策評価にとっては重要な意味をもつものですし、それらが廃棄されることは、日銀考査などの公正さを信じている国民に徒な疑惑を抱かせる一因ともなりかねません。私たちは、それらが保存され、後世の人々にその利用の道筋が残されることを強く望んでおります。

  私たちは、日本銀行で日々金融政策運営に苦労されている正副総裁をはじめとする日本銀行員の皆様が、狭量な「組織防衛意識」などに煩わされて、長期的、かつ大局的な視野を失われてしまうことはないと固く信じております。上段で申し述べたような資料廃棄についてのわれわれの懸念は杞憂であるかもしれません。にもかかわらず、このような差し出がましい要望を提出する理由は、ひとえに、情報公開法施行以降、行政当局の一部に見られるといわれる情報廃棄の風潮を深く憂慮しているためです。皆様におかれましては、われわれのこうした憂慮を是非とも受け止められ、資料・記録の保存の方向に向けて、ご英断を下されることを心からお願い申し上げます。

平成十四年二月五日

 社会経済史学会代表理事・東京大学名誉教授
  石 井 寛 治
 日本金融学会会長・東京大学教授     
  堀 内 昭 義
 土地制度史学会理事・東京大学教授    
  伊 藤 正 直

日本銀行正副総裁ならびに関連部局長殿